新潟市中央区保護司会研修会
テーマ 臨床実験
新潟刑務所ディスクジョッキーを担当して
H23.2.12日 会場新潟ユニゾンプラザ
新潟刑務所篤志面接委員 東光寺住職 石曽根高道
何に対しても、不満が出なければ人生満点。「学はまねる」先人のまねをして、自分の物に成ったときそれを土台に新たな発見がある。それが奥義であり覚りである。
講演をまえにストレスを感じる、世間では一番ストレスの感じることは 人前でお話をすることだそうです。
もう二度と会うことのない人の前で話すならまだよいですが、究極のボランテア保護司を拝命されてご活躍されておられる大先輩の前に立つだけでもストレスが溜まる、そして東光寺は3Mの積雪、共に重圧として掛かっておりましたことお心に留めて置いていただけたら幸せです。
刑務所DJを担当することになったのはBSNとの出逢いでした。受ける条件は人権・後はすべてお任せ、番組名からすべての企画運営をしてくれといわれ、BSNではデレクターの声がストレスを溜めるハイ・コマーシャルは入ります「10秒前」スポンサーからこの商品を宣伝してくれと言われれば、どんな商品でもすばらしいといわなければ、スポンサーは逃げてしまうから。
そんなしがらみのない番組つくりは魅力がありました。
力のある方の影響力が及ばないということはストレスがない。
私の望む刑務所の三要素とは。1、罪をおかし連行された同じ境遇の仲間が居る、2、そこでは自分の成長が見える、3、自分の創意工夫が認められる、聞いてくれる人が居る。これがDJのもっとも目指すところ。
そのサンガ(集団)に居ることでハッピーになる、そういう言葉はどこかで聞いたことのある言葉だ、私なりに考えて考えて思いついたのが、八十八霊場だ。
お遍路として発願し一大事決心して参加する、それはそのサンガに仲間入りができ、それによりハッピーになる。そこに加わることで自分の成長が見え、自分なりの発見を認めてくれる仏さまがいて仲間がいて宿坊がある。弘法大師の一大イベントであり、そのイベントで1千年もの長き時代を何十代も八十八箇所に携わった方々がおまんまを食べてこられたのは事実です。
イベントは仲間が居て自分の成長があってそれを認めてくれる人が居る、この法則は永遠ではないでしょうか。
綾乃小路さんではないが、ブ~ンと蚊が飛んできて文化、文化的生活で裕福を得て、その反面無くした物の方も大きいような気がする。
文化的生活なんてものは、水害や地震で体験したように、儚いものです、あっという間に戦前の生活に逆戻りであります。
中国出身の受刑者の方がここのマーボドーフは本場中国より美味しいと、たよりを頂いた。ここでは不味いものを作ったら部屋に帰るとなに言われるか分からない。
私は郊外の生まれで、小学校までは文化的なものは、六〇ワットの白熱球とラジオだけ。学校は裸足、村すべてが遊び場で、子供の仕事は風呂の水汲みに松葉掻き。お母さん達は裏の川で野菜を洗い米をとぎ、その上流ではお洗濯。ミネラルウオーターしか口にしない人には考えられない話です。
今思えば私は頭は悪くないのですが勉強が嫌いであったことが現在、私の人生を変えている。それは勉強してないから聞くこと見るものみんな新鮮で、なまじ勉強してこなかったから子供のように何でも質問できる。以前子供の質問箱で「なんでお魚はしょっぱい水の中に居るのにしょっぱくないの?」の質問に担当者は四苦八苦してこれを正確に答えるにはとても難しいなんていっていた。
夏になると風呂の水汲みが大変なので、風呂桶を川端に出して、満天の星空の下露天風呂、懐かしいです。
今の生活からすれば、嘘のような話でありますが、実際に四十七年前は体験してきたことであり、そのお陰で器用貧乏であり、戦前の方とも話があう。
五十年前は牛車が往来していたのに、今では車は一人一台、来年あたりは車はヤマダ電機で5年保障で買えるかもしれない。洗濯機と内容は似たものである。オーナーの好みでハードありソフトを選択しスタートを押せばモーターが駆動する。
今は昔と違い何が起こるか分からない時代です、裕福と引き換えに心が貧しくならないように、DJを通して失われた何かを炙り出せれば、素敵な文化が私達を導いてくれる。マトリックスという映画でよい事を言っていた「自分の歩んできた道が自分を導く」
13年目を迎えた刑務所ディスクジョッキーは聴衆者の目標である仮釈を目指して懲罰をしないように自分に言い聞かせるように、願いをカードに託し、カードが読まれることで、それに重ねて自分を納得させているようだ。
DJも刑務所であるということも忘れて0の境地で溶け込んでいくような感じで進み、1時間があっと言う間で後1分欲しい1分あればゆったりと終われるのに、日頃は感じない1分の重みに喜びと虚しさを感じて、今月もディスクジョッキーがエンディングを迎える。
闇夜の中を手探りで動き始めたディスクジョッキー、内容も入所者とのキャッチボールで変化を遂げ、今に至っています。
アシスタントの女性も現在3人目、担当官と3人で全てのリクエストカードを読み、来月のテーマを決め、収録に入ると何があってもテープは止めない、ナマ放送の隠し事のないそのままを大事にしています。
ゲストもこられました UXの富高由喜さんは産休前に取材にこられカードを読んでいかれた。BSNの近藤丈靖さんも遊びにこられました。FMポートの遠藤まりさんも応援にこられました。
番組を支えているリクエストカードの内容を紹介します。
テーマは始めた頃はありふれた節分・花見・こどもの日・運動会等の思い出などで、その後は社会情勢を入れて
ディスクジョッキーのテーマは「惨いと言う言葉から思うこと」沢山のカードの中から「惨いと言うのはTV等で見ているが、実際に遭った経験者は少ないと思う、ほとんどの人はよそ事で済ませている」そのカードを読んで、被害者を可愛そうにと思うだけで、TVを消せば忘れていく、そして一つ事が過ぎてから、あ~でもない、こ~でもないと、何にもしたくないのに不愉快を口にする、自分の考えと一致しないと不愉快、自分の欲しいものが手に入らないと不満が出る。
(ニューヨーク){テロにあわれた家族への手紙}ではとても書けないけどと、前置きし内容のあるカードが心を打った。
{ひきこもり}のテーマでは「人間は弱い生き物です、群れを作ることによって、繁栄して来た動物です、それが今コミュニケーションを拒否し、生存するすべを放棄すること、ひきこもっている彼らを庇護してくれる存在を無くした時死を待つのでしょうか、人はストレスを伴い、傷つき・怒り・多くの人と関わり生きていくもの、愛情こそ尊」「いずれは社会に出たとき、喜びと共に感じること、でも私は喜びを体験しているので、勇気を出して飛び出します」「自然と遊ぶこれが一番」「汗を流しましょう」「コンビニがあるから何時でも欲しい物が手に出来るそれも原因では」
生き甲斐を持って生きている人は、よい人間関係を持っている。逆に心が病んでいる人は一人残らず、人間関係に障害を持っている。(佐々木正美先生講演より)
回を重ねるごとに文章に深みが増し、一体感があり収録後改めて聞き直したとき、なんともいえない、そう夏の蜩を聴いた感じかな、どう表現していいのか分からないが、たとえば秋の夕暮れ迫る家々の台所の明かりが妙になつかしく感じるときがある、お母さんが家族団らんの夕食の支度をしている、まな板の音が心地よい、そんな思いと重ね合わせると、私の心は身体を離れ夜の帳に包まれる刑務所の薄明かりに、その明かりは入所者にはどんなふうに映っているのか、家族の愛情に包まれたいのではないかと。
{あなたにはどんなボランテアできますか}にはホントに出来るのって思えるカードが多く、一人一人に確認をして、彼はこう言ってますと周りに聴いてもらって、カードに書いたことを自分で改めて考えて頂く間をあげています。
{あなたの愛とは}には「一人では成立しない、誰かいて何かして、そこに心がなきゃね」バラバラの家庭に育ったと前置きし「男と女の愛には裏切りもあるが家族の愛は永遠だ、それは自己犠牲愛というか親は自分を犠牲にして子供を守るそれが私の愛」
ある7月のテーマ
{生まれ変われるものならば}「もう一度母の子供で生まれてきて親孝行がしたい」
特に沢山来るカードは母に関するテーマである
{ふるさとの春の味}{今だから言える母にささげる言葉}一番罪滅ぼしをしたい人は母なのだ。 {母にしてもらいたかったこと}では「やさしさ」「抱きかかえてもらいたかった」逆に「あじわった辛い思いを母にもさせてみたい」にはお母さんにこれからでもいい彼を抱きかかえてもらいたい「母の愛を知らない、でも母も子供のあまえも知らない」このテーマの締めのコメントは「母に産んでくれてありがとうを言いたい」どんな不平不満も怒りもこの一言で心の雲が晴れるのでは、産んでくれてありがとう自分でも言ってみて希望が鮮明となる。
京都医大 伊達洋至先生の手術を見た、決断の時、その決断で患者の命が左右される重い決断をし手術に入ると、患者さんの家族の強い思いが私の手術の力になる(23.2.7nhk)
誰と誰の関係であっても、お互いに交換し、与え合っているものは等しい価値を持っている、夫婦でも夫が妻に与えているもの、妻が夫に与えているもの、内容がどんなに違っていてもその価値は等しいということを実感していれば、その人間関係はとてもよい。 子供に喜びを与えることを、親の喜びにしなければ育たない。
生後6ヶ月から1歳半は母親から離れたら大変という気持ちを持ちながら、自分の意思で勝手に行動する時期、でも母親が見守ってくれて、居る、いないで大きく感性が違っていく、でも何歳に成っても見守ってくれている家族の機能が重要である。(生命ニュースより2010,12)
集団生活の中で、上手く人と接していく方法では
いい金儲けの手段と思ってするのと。しかし、相手の気持ちを考えながら、相手の健康を願い、相手の幸せを願って仕事をすれば、金儲けだけでできる仕事ではありません。
何気なくかけた言葉で相手がいら立つ感じがして納めるのに一苦労することがある。元々そういう言葉に関心がなければ、反応なんかしないのです。気にしているからこそ、反応が出るのですよ。そのため、人間は反対のことを言うことがよくあります。そこをよく聞き分け見極めないといけません。
伝動戦略の極意は、対峙する嫌な相手や問題とは直接ぶつからないことです。もっと、間接的なルートを探る。その方が、悪影響というか副作用が出ないのです。
戦略と戦術を混同してはいけないのです。戦略というのは「追放」というように激しいものなのです。けれども、それをそのとおり激しく実行すればいいかというと、人間社会はそうではありません。日頃から観察力を磨く(佐藤直暁リーダーの人間行動学より引用)
1千人の入所者とのコミュニケーションテスト(臨床実験)は社会に出ても十分通用する。
アニマル・へストコントロール
観察力を磨くにはペットがいい、犬猫とは言葉が通じないから、感受性で印象を受け止める能力がつく、ということは、その感受性を持つことによって、人の心を傷つけることはない。
犬がワンと鳴けばお腹が空いたのか、散歩に出たいのか、遊んでほしいのか飼い主は一緒にいる年月で感じ取れるようになる。犬も飼い主の心を読み行動する。
{あなたの感動を、上手に伝えてください}
作文で伝えるものは、感動である。感動が起こったとき、なにがそうさせたかを観察、見つめ。その対象と自分との関わりを深く追求することが大事。
自分の文章を読み返すときが一番至福の時間である。なおそれを皆に聞いてもらえるのも至福の時間
読むものが今までなんとなく通りすぎていた事がサテイすると新鮮な物を発見する。
最近では、自然の営みを発見し私たちに教えてくれる「桜の蕾が膨らんだよ」「雲の間から青空が綺麗です、吸い込まれそう」など今まであまり感じなかったことが、リクエストカードを書くことで気になるようになってこられたのでは。
カードを読んでいて、引き込まれるような感動は、自分の体験と周りの関与者の心まで感じて伝えてくる。
そういうカードに出会うと不思議なことに、自分は最近感動があってもなんともいえない、強烈な喜びがなくなったと自分なりに振り返らされ、感動のメッセージカードを読みながら、自分に問いかけている自分が見えてくる。
強烈な喜びはどうして起きたのか、思い起こしてみると、強烈な喜びはすべて初めての体験でありました。計画書に記されていることが、自分の体験してきた仕事では実践不可能というほどの計画であり、ただ出来ることは、目の前にある計画を一つ、一つ実現できるように、尋ね歩くだけでありました。
ありがたいことに、頭を下げてどうぞ教えてくださいといって伺うと、道が開けることを経験しました。
与えられた仕事を、何で私がなどと腹を立ててもしかたないこと、腹を立てても立てなくとも、いずれはしなければ成らないことなら、ただ無心でハイと実行すれば成功か失敗してもストレスは溜まらない。
そのような自分の能力を超えた仕事を曲がりなりにも終えた日は、今も覚えていますが、何時もの帰り道が輝いて見えた。
その後十数年そのような感動を感じることが無い生活を送り、この度の放送で分かったのは、十数年前の強烈な体験は、今になってみればごく普通にこなしている。
寄って感動は薄いことを発見した。それなのにストレスだけは溜まっていくなぜか?
今行っている仕事に楽しみを発見できないというか、見つけられないでいる、探すということに気がつかないでいる自分を受刑者のカードを読みながら知った。
難しいテーマを出すと、決まって難しくて分かりませんがリクエスト曲掛けて下さいというのが4~5通来ます、これから皆さんの意見を読みますので良く聞いてくださいと前置きします。
人間関係を失ったら、人間は自分の存在の意味も自分の生きる価値も見失う(ハリー・スタック・サリヴン)
(アルフレド・アドラー)人は、常に、理想の状態を追求していて(優越追求)、理想の状態は仮想であるから、それに到達できない自分について劣等感を覚える、という優越コンプレックスの理論へと発達させていった
先日 久しぶりに6年前の映画Aiを見た。
7年前と映画は変わらないが、私が変わったのです。皆さんも昨日と今日・去年と今日・心も身体も変わっているのはお分かりのとおりです。
主役のデイビット(ハーレイ・オスメント)ロボトの子供が、マリアさまに人間の子供に成りたいと一心に願い、願い続けていつのまにか2000年の時がたち、地球上には人間の生きていたという形跡すらも無く、・・・2千年も祈り続けることによって願いが叶い。「人間の子供に成りたいと」祈ってかなったのはたった1日だけ、人間のお母さんの子供として朝を迎え、母が訪ねる「今日は何日?」子は「今日はきょうだよ」今日は今日だけ感動の1日を、朝食に、髪の毛を切ってもらい、ごく普通の親子の親子らしい一日を感動で終わっていく。7年前と又違った感動を見つけた。
刑務所も8人部屋になんの躊躇もなく外国人を入れるが、人間動物に備わっている感受性が働き、いつの間にか学校でもないのにそれ以上の学力が付く、その感受性を磨き上げることが臨床実験となるのでは。
刑務所では3年から5年は普通です5年も入っていると、どうでしょうか、出所したとき世間は変わっていないなんて事はない。
存在すら忘れ去られている人も居る。
ディスクジョッキーを担当して、誰が一番救われたかと考えると、私が一番救われたのではと思う。入れ替わり立ち代りどんどん変化する塀の中で・人との出会いに気づき、高速インターのように同じスピードに乗らないと合流できないのです。
同じスピードで+-「〇」で溶け込めるのではと、自分の心を何時も自分の身体に呼び戻して今月もマイクに向かう。