世の中は、運のよい人悪い人、それぞれちゃんと引き受けて過不足ありません。
新しい年を迎え雪とたわむれて一ケ月、地元総代さま世話人さまお檀家のお力を頂き無事故で雪落とし六回、本堂及び庫裡周り雪除き二回、最後の方は私も雪堀を体験しました。
二月一日のお昼に、空に吸い込まれそうな青空が覗いて雪が止まりました。
あんなに大変だった除雪もうそのようですが、もうお彼岸が来ます。
彼岸とは宗教週間であります。
毎日追い立てられるような生活から少しはなれて、仏と向き合いストレスを少しでも解放される
日でもあります。
日頃は幸せを追い求め、豊かさを求め、幸せを追いかけて掴んでは刈り取ってばかりいますが、彼岸は刈るばかりではなく、幸せの種を蒔いてみませんかという日でもあります。
よい種を蒔くとは、縁(えにし)のこと、因縁の教えです。縁は運ともいいます、あの人は運のいい人だなんていいますが、自分の努力以上に運にも恵まれたということでしょうか。
良い運を引き付けるにはどうするか考え思いついたのが、易者に見てもらえば分かるのではと、ちょと薄暗い路地裏の暗そうな、その上パリッとしてない易者を探し見てもらうと「あなたの運はつきました」なんてめったに言わない、少し落として徐々に上げていく、落ちて上がると三倍くらい上がったように感じ、見てもらった会があったというものです。でも見てもっらて皆運が良くなったのでは私も毎日どころか数分おきに見てもらいますが、そんなにしても運は良くならないですね、せいぜい見てもらって気分の良くなったところで、そうです運の向いてくるまで運の良くなる畑でも耕して、良い種を蒔きましょう。
人は自分では分からない縁・運に支えられているのです。運のいい人悪い人みんなそれぞれ天地の姿そのままに引き受けて、運がよくても悪くとも最後は死すことばかりは真なりであります。
「あの人は運が悪いね~死んでしまったよ」なんて言いますが、運の悪い人ばっかり死ぬのかと思ったら、人生絶好調なんて人も結構ポックリ亡くなっています。
世の中は、運のよい人悪い人、それぞれちゃんと引き受けて過不足ありません。彼岸のせめて一日でも良き縁をいただいた先祖のアルバムでも開いてみませんか。 「良い縁だと、おれは最悪の縁を受け継いだ」なんて言わないで、二十才になる前に寿命を終える人も沢山います。息をしていれば運の良くなる畑も耕せるのです。
このお彼岸は万物を敬う良き種を蒔きましょう。
平成23年2月 東光寺住職 石曽根高道拝