今日の新潟日報で54年前粟島付近震源で地震があったと・・・
あれから54年、私は小学校6年生 紫雲寺の田んぼにいた
あの日の事は生涯忘れない、身体が覚えていてくれる
中越地震では新潟で震度5、7年前の長野栄町付近の地震では津南にいて震度6でも
身体がまだ大丈夫と発信していたので揺れている最中に妻に電話し生きているだけを
確認できた。
その岩船をその時間に通りそうだ
明日は鳥海山の麓の永泉寺で私の送別会をしてくれるというので
出かけていくのであるが、昨年後任の家族にお寺をお任せしたのだが
奥さんがリオの方で日本語はダメ・・スペイン語英語ポルトガル語を話す
今遊佐出庄内弁教室に通っているという・・・私にとってはどの言葉も??
ただ彼女はカーニバルの地域コミュニケーション能力はすばらしいものがある
ソレナニアル?の質問攻め
私も彼女のように質問できるように答えを沢山用意しなければと
今日は何を聞かれるか、庄内弁は上達したか楽しみである
まずは地震が起きないように願う前に交通事故を起こさぬよう前をみて行ってきます